木瓜のぽんより備忘録

木瓜のぽんより備忘録

アラフィフ主婦の備忘録。旅行・健康・お金など気になる事をメモ。

もう9年【3.11】まだ9年

2011/3/11に発生した
東日本大震災から
もう9年も経ったんですね。

いえ、まだ9年。
あの日、何をしてたかな?
どんな事を不便に感じて
どんな事を不安に感じていたかな?

記憶が徐々に薄れてしまうので
書き留めておこうと思います。

特に役立つ情報はない
わたしの備忘録です。

2011/3/11 我が家の様子

2011年の3/11は金曜日でしたね。
地震が起きたのは、14時46分。

わたしの住む市では
震度5だったと思います。

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わたしの場合

わたしは、昼食の後でまったりと
テレビをつけたまま
パソコンを使っていたと記憶しています。

家がゆっくりと揺れ始めた時
【あ、地震だ】と思いましたが
最初は特に気にしませんでした。

そのうち【揺れが長いな】と思い
それから【あれ、揺れが大きい?】と
だんだん焦った気持ちに。

ガタガタガタって、激しい揺れではなく
グーラグーラとゆっくりしていたので
そんなに怖いとは思わなかったのです。

背の高い家具が倒れちゃうかも?と思い
抑えに行こうと、立ち上がろうとしたら
揺れが強くて立てなかったので
ちょっと困りました。

更に、ぶら下げるタイプの電灯が
揺れて天井にぶつかって壊れるのではないか、と
心配しました。

揺れている最中に、停電したようで
テレビもパソコンも画面が真っ黒になりました。

情報を得られるものがなくなったので
この時点では、全体像は掴めずにいて
【大きな地震だったな~】
【子供たち大丈夫かな?】
と思っただけでした。

義父母の場合

同居している、夫の父母は
地震がとても苦手です。

地震の後
テレビが消えてしまったこともあり
落ち着かない様子で外へ出て
近所のお婆さんたちと井戸端会議をしてました。

そのうち義父が車のラジオを付けて、
大音量で流し始めました。

その時初めて
地震はこの辺りだけではなく
東日本の広範囲にわたる
とても大きなものだと知りました。

長男の場合

長男は当時、高校2年生。
バスと電車を乗り継いで
片道1時間ほどの高校へ通っていました。

この頃は、既に受験モードで
学校の自習室で、毎日夜7時頃まで
勉強してから帰宅するのが習慣でした。

地震が起きて、停電して
すぐには復旧しない可能性に気付いた時
【長男、家に帰ってこられないかも?】と
心配になって、慌ててメールをしようとしたら
「ただいま~」って帰ってきました。

何故か、この日に限って
今日は早く家に帰ろうって
思ったんだそうです。

地震で揺れてるときは
駅から家に向かうバスに乗ってる時で
【今日のバス、よく揺れるな】って
思った程度で
地震には気付かなかったそうです。

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帰ってきた時に
慌てた様子で出迎えた わたしを見て
不思議そうにしていたのは
そういう事だったのね。

この日、部活や勉強で学校に残っていた子は
帰宅する事が出来ずに
みんなで学校に泊まったそうです。

なんというか、
この日に限って早く帰ってきた長男、
運がいい(・v・)

次男の場合

次男は、当時小学6年生。
徒歩30分の距離の小学校に通ってました。

地震が起きた時は体育の授業中で
グラウンドにいたそうです。

職員室のベランダから先生が顔を出して
「地震が来るよ~。しゃがんで~」と
叫んだのを聞いた直後に揺れたそうです。

緊急地震速報が職員室に入ったんですね。

教室にいるよりは、グラウンドの方が
周囲に物が少ないので怖くなかったかもしれません。

揺れが収まって、安全確認などが済んだあと
教室に戻って帰り支度をしました。

先生たちが途中まで下校に付きそう形で
帰ることになったそうです。

この日は、低学年の子は
既に下校済だったので
割り合いざっくりした対応だったようです。

ちなみに次男は
グラウンドから教室に戻る時に
足首をグキッとひねってしまい捻挫。
小学校卒業までの1週間の登下校は
車で送迎される身となりました。

次男は運が悪い(>_<)

夫の場合

平日なので、夫は仕事中でした。
出張で出掛けてなくてよかった。

でも安否確認のメールを送っても返事がなく
こちらも不安でした。

こんな地震があった日だから
早く帰って来くるのかと思ったら
帰宅したのは、21時ころ。
まあ、いつもよりは早かったですね。

車通勤の夫は、電車通勤で帰宅困難になった
同僚をあちこち送り届けていて
遅くなったんですって。

ソーデスカ、タイヘンデシタネ。

まあ、我が家の方は
停電と次男の捻挫以外は被害はなく
特に心配もない状態でしたが

連絡が取れてない状況なんだから
少し位、家族を心配してくれてもいいのでは?
なんて思いましたね。

ガスで調理は出来ました

我が家のエネルギーは
電気と、プロパンガス。
暖房は石油ストーブです。 

停電したので電気は使えませんでしたが
プロパンガスで調理をすることは出来ました。

まあ、でも暗い中での調理は危険なので
ちょっと温めるとか、お湯を沸かす程度です。

この日は冷凍庫にあった
冷凍うどん やインスタントのラーメンを
食べたような記憶があります。

冷凍庫のもの溶けちゃうね~と
心配して、どんどん食べたような気がします。

その後、計画停電が行われた期間は
停電の時間を避けて、ご飯を炊いて
おかずは事前に作っておいて
温めなおせる煮物系やカレーなどを
食べることが多かったです。

予備に買っておく食品は
冷凍よりも常温保存ができるものがいいな。と
この時に思いました。

石油ストーブ大活躍

地震が起きたのは3月でしたので
夕方になると暗く、寒くなってきました。

停電で電気が着かないので
夜は部屋が暗くて、いっそう不安が増しました。

義父母の部屋にある石油ファンヒーターは
電源が入らないと使えませんでしたが
リビングにある石油ストーブは
停電でもばっちり使えました。

部屋が暖かくなるのはもちろん
オレンジ色の炎が反射する石油ストーブは
ほんわかと部屋を照らしてくれて
気分が和らいだ気がしました。

その後も、計画停電が続いて
暗い夜を過ごすことが何度もありましたが
石油ストーブのおかげで
明るく温かく過ごせました。
ほんと大活躍でした。

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停電からの復旧

いつもは遅くまで起きてますが
この日は出来ることもないし
もう眠ろうか。
と思った頃に、停電から復旧しました。

情報を得ようとテレビをつけると
流れてくるのは
ショッキングな映像ばかり。

現実なんだけども
夢か現か、という感じでした。
いろんな情報がいっぺんに入ってきて
頭で処理しきれなかったのかも。

あの夜、なかなか眠ることが
出来ませんでした。

どこのチャンネルを回しても変わりませんでしたが
日付が変わった時に、テレ東でアニメが始まった時は
なんとなくホッとした気がします。

でも、不謹慎だ!ってクレームが
集まってしまったそうですね。

テレビの配送、どうなる?

テレビと言えば、我が家では
あの時たまたま、テレビを買い替えて
3/12に配達してもらう手配になっていました。

地震の起きた翌日ですね。
(>_<)

配達時間は、前日の夕方に電話でお知らせ。
と言われていたのですが
停電のせいで電話が鳴りませんでした。

テレビ、ちゃんと配達してもらえるかな?
と心配になりました。

特に急いではいないので
配達はいつでも構わないのですが
混乱に紛れてしまうのが怖かったです。

停電が復旧してから
配達当日の朝に電話が来て
無事に配達してもらえました。

買占め騒動

地震の当日ではありませんが
あの時も、食料品や日用品の買い占め
ありましたね~。

普段からの備蓄って
大事だな、と思いました。

地震を経ていろいろ思ったこと

・いざという時、思ったより動けない。
・背の高い家具はやめました。
・電灯は天井に沿うシーリングタイプに。
・予備の食料は常温保存できるものがベター。
・石油ストーブって便利。
・日用品は常に2週間分のストックを用意。

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おわりに

そんなこんなの
木瓜家の2011/3/11の記録でした。

もっといろいろあったり
考えた事もあったのかもしれません。

人の記憶は頼りなくて
特にわたしは忘れっぽくて困ってます。

取るに足らないことでも
こうして書き記すことで
後々役立つことがあればいいな
と思います。

それではまた(^▽^)/

 

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